受信メール 99
過去コラムログ

[件名]
0と1の形見
[本文]
「すいませんが、メールの移し変えは出来ないんです」
携帯電話の機種変更をした人ならこんなことをお店の人から言われた経験があったりするかも知れないです。そう、例外を除いて携帯電話のデータ移動はメモリダイヤルくらいしか出来ないんです。 そんな携帯電話なんですが、うちが働いていたときこんなお客さまがいました。

「あの、このメール、友達の形見なんです。なんとか残せないですか。。。」
ふわっ! 重たい。そんな事いわれても。出来ないよ。こっちもめんどくてやらない訳じゃないんだから。
「うーん、スカイメールなら出来るんですが、他社携帯のメールは無理なんです」
そうですか。。。となんとも落胆してるのでなんとかならないかなぁ、と思案してたら、仕事仲間が、
「じゃあ、まずそのメールを他の人に送って、また転送して貰えばどうですか?」
というこれしかない。という解決策を提案。うん、これで落着。と思ったら、お客さんは納得いかないようす。
「でも、それだと、友達からきたメールじゃなくなっちゃいますよね。」
いや、そりゃそうなんだけどさぁ。。で、結局お客様には旧機は手元に残りますからそれにデータが残りますので。(どうせ圏外だろうがそうでなかろうが、その人からメールやってこないし)といってなんとか納得してもらいました。

しかしこれは新しい形の形見だなぁ。って思いました。そしてきちんと形見として機能してるんだなぁって。よくよく考えてみればその形はただのデータです。故人が持っていたものでもなんでもないんです。それが形見だったらその内容を聞いて紙に書き出したものだって形見になっちゃうし、形見の複製を可能だし。それでも形見としてそれを持っておきたいという人がいる。本当はただの0と1の配列なのにも関わらず。

うちは閉鎖サイトの自由研究というのをやってるけど、その閉鎖理由に「管理人がしんじゃって」という重たいのがあります。そういうサイトを死後も誰かが守っていたりする場合があるんですがこれも0と1の形見のひとつなんだろうね。サイトの場合は形見というよりもしろ墓標かも知れないけど。故人を思い墓参りに来るのだ。もちろん死後そのままに放置される無縁仏サイトのある。でもそういうサイトも誰かがローカルに落として形見として持ってるのかもしれない。それはただのデータという枠を越え実体をもつ形見となんら変わらぬものなのかもし知れないなぁなんて思います。

いや、でも本当はそうするより仕様がないだけなのかも。こういうコミュニケーション手段が増えている今、実際に出会うことがなくても関係が成立してしまう。その関係が友情でも愛情でも知り合いでもなんでも、それは確かに完全なコミュニケーションがもたらす関係よりは不完全ではあろうけど、立派な関係だと思う。ただ実体がないだけで。もしその関係が終わったとき、その間に残された思い出は実体のないものだけなんだから、それを形見にするより仕様がない。ほんとうはみんな形ある思い出をほしがってるかも知れない。でもうちはそ0と1の実体の形見は実体のない関係にふさわしい形見だと思う。なんか逆にそこに実体にあるものが介在するのはとても無粋な気すらしてしまう。

うちのサイトもどういう形であるかは分からないがいつかは終わりを迎える、それは絶対に。そんなときが来たら良かったらうちのサイトの一部でもハードディスクに持って帰って欲しいと思うのです。気に入ったコラムでも、なんでもいいから。ぶっちゃけ、あんまり人と関わらないうちだからここがないとうちの生死なんて判断つかなくなんだからさ閉鎖も死別も大差ないわけだから、形見だと思ってもってっちゃって下さいなんて思うのですよ。

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