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[件名]
フェレンギ人
[本文]
モノより思い出
とかいって残業カットやボーナスカットでひぃひぃ言ってるお父さんから車という高いモノを買わそうとしてる宣伝があるけど、どうして昔から唯物主義というのは悪徳とされているのだろう? モノが無い思い出の方が辛いだろうに。子供心にさ。

お金持ちであることを自慢したり、お金儲けにしゃにむになることはあんまり人としてお行儀のいい事じゃないとされているようだ。たしかにうちもアパマンの女社長とか水面蹴りできれいに足を払ってやりたい気持ちになったり、マネーの虎にでてくるお金出す側の人間をみると、美空ひばりの息子はどう考えても自分の力じゃねーよなー。と思ったり、みのもんたは胡散臭いと思ったりしますよ。でも、お金を儲ける事が悪いことだとは思えない。金の亡者とか守銭奴なんて悪口があるけど、金の切れ目が縁の切れ目だったりする事の方が世の中多いと思うのだ。

それでもやっぱり世の中はお金にこだわる事を悪い事にしたいらしくて、ごうつくばりのじいさんがえらい目にあうのは昔ばなしの定番だし、クリスマスキャロルだってなんかそんな話だし。宗教だってほとんど清貧を善しとしてる。
でも、それって本当なのかなぁ。なんだか貧乏人にせっせと働かすための口実のようにしか思えない。その間どっかで金持ちは、
「そうそうお金持ちなんて最後は悲惨な目にあう禄なもんじゃないんだから、地獄に落ちるのは私だけでいいから君たちのぶんのお金も貰ってあげようね」みたいな気持ちでいるのかも知れない。
なんかそれは腹立たしい。世の中をお金よりも大切なことがあるんだよ。という風潮にさせといてせっせとお金を集めてる人がいるってのが。

スタートレックには超資本主義社会のフェレンギっていう種族がいる。みんながナニワの商人みたいな種族で、法律もお金が基本。だって、その法律ですらお金で変えることができるし、地位もお金で買える。つまりフェレンギ人にとってお金をどれだけ儲けることが出来るかがその人の価値なのだ。これってたぶん資本主義社会に対する皮肉とかパロディなんだと思うけど、資本主義の本質ってきっとそういうことなんだろう。
そう考えると、うちはフェレンギのように、お金がすべてだと言い切り、お金の儲け方を教育するやり方はフェアだと思う。本当はお金は大切なのに、お金を儲けることは悪徳だと教えて、お金のことを教育しないことよりははるかに素晴らしい。 フェレンギ人は作中では詐欺師だとか信用できないとか言われてるけど、お金のために人を裏切るフェレンギ人の方がたいした理由もなく人を裏切るうちらよりずっと信用できる。
ちょっと考えれば分かるようなことで騙されてお金を失う人がたくさんいるけど、これも騙される人が馬鹿なんじゃない、ただ騙される人が無知なだけ。無知なのも仕方ない、誰も教えてくれないんだもの。

うちらはもっとフェレンギ人を見習うべきだと思う。お金に翻弄されるなんてまっぴらだけど仕方が無い、うちらの生きる世界のルールがそういうルールなんだから。ルールブックも読まされないまま、なんだか言いくるめられるのはごめんです。
「愛はお金じゃ買えない」 なんて言う貧乏人の殺し文句があるけど、うちはそんな事は一度お金持ちになってから言えよって思う。じゃないと買えないのかどうかわかんないじゃない。お金が無いからって手に入るもんじゃないじゃん愛なんて。そんな言葉の綾で得意げになってるから騙されるんだよ。
まずうちが試すからそうだと思う人はうちにお金をたくさん下さい。もうお昼にマクドナルドを食べるのは飽き飽きなんだよ。
ちなみにフェレンギは強烈な男尊女卑社会で女性は服を着ることも許されてない。フェレンギの男性にとって女性を買うものなのだ。
フェレンギが資本主義社会の皮肉なら、愛はお金じゃ買えないなんて事はないんじゃないのかなぁ。
愛があればお金はいらないっていう意見なら賛成なんだけどなぁ

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