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春はあけぼの

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春はあけぼのって言います。でもうちは春はあけぼのよりも夜の方が好きです。
日が沈んでからもそこそこ暖かい季節というのは良いですね。うちは一人の時はうつむき加減でいつもせせこましく歩いています、これが冬とか秋とかだったらますます早足になります、一刻も早く暖かいところに帰りたいからです。でも今ぐらいの季節になると、なんだか自然と歩みもゆっくりになります、なんとなく遠くを眺めてみたり、夜景に目を配らせてみたり。そうそう、冬には空に匂いが無いけど、春は空になんか匂いがあるんですよね、薫風とは良く言ったものです。こういう季節にゆっくり歩きながらする、ぼんやりした考え事がうちは好きです。とりとめなく浮かぶ疑問をさらりと流したりひっかかって深く考えたり、大概は考えても仕方ないような事ばかりなんだけど、たまに、これはなんかちゃんと文字にしておきたいな、て思うような事もあります。これもそんなひとつ。
「なんで男の人は乳を吸うのかなぁ」
不思議です。なぜなら吸っても別に気持ちよくないからです。吸われる方もたいして気持ちいいもんでも無いと思うのですが、好きな人が自分の乳を吸っているというのは見ていて少しいとおしいものかも知れないし、本当は結構気持ちいいのかもしれないし、吸ってくるから吸わしてるとか、まぁ吸われる側の立場は理解できるのです。問題は吸う側の意識です。なぜ吸わなくてはいけないのか??
ただ単に愛撫なのか? 女性の人も男の人に自分はちっとも気持ちよく無い行為を口でしますが、これは奉仕の意味合いが強いと思うのです。男の人が気持ちいいなら。という。同じく乳吸いは奉仕か? と言われれば違う気がする。男の人は自ら好んで、自分の為に乳を吸ってる気がする。相手の反応がどうとかじゃなくて、乳が吸いたい!! という乳衝動に突き動かされているとしか思えません。
ここで単純に思うのが、母性への回帰というのがあります。乳を吸って育つという動物としての根底にある記憶が大きくなってもどこかに残っているんじゃないのかと。これは自然な考え方なのですが、じゃあ女性も乳を吸いたくなるのでは? という疑問がわきます。ただこれは自身に乳房が出来る過程で無くなってしまう感情なのかもしれないです。
もうひとつ考えたのが、隠されている部分への執着。生乳というのはそうそう拝めません。いつもは厚い服の下です。夏になって薄着になってもせいぜい見えるのはブラくらいです。そんな乳なのに目の前にあるのが好きな人の乳だ。君ならどうする?? これはもう吸うしか!  
芸人のよいこ濱口さんは、ケツを噛むといいました。これも隠されたものへの執着なのだと思います。
で、思うのが、アフリカの小数民族で乳まるだしの民族っているじゃないですか。あの民族の男の人は乳吸わないのか? と。彼等にしたら女性の乳は女性の腕と同じくらいのものだと思うのです。
だからなぜ男の人が乳を吸うのかという疑問を解決するために、そういう民族の人に乳を吸うのかどうか聞いて欲しいです。彼等が乳を吸うというのなら、それは母性への憧れとして乳を吸うという事だと思うし、乳なんか吸わないというのなら、うちらが乳を吸うのは隠された乳への執着という事になると思うのです。一度男の人はなんで俺は乳を吸うのか一度考えてみて下さい。女の人は愛しい人がなんで私の乳を吸うのか考えてみて下さい。
夜風に舞うさくらを眺めながら考えるといつもは見えなかったものが見えてくるかも知れませんよ。

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