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[件名]
メジャーVSマイナー

[本文]

世の中にはマイナーなものとメジャーなものがある、たいていの人がメジャーなものを支持する、当たり前だ、だからこそメジャーなのだから。メジャー主義はマイナーな物を格好悪いものと見ているし、流行っていないものにはまるで興味が無いという人も少なくない。彼らにとってブームを追いかけることは時代の最先端を行くのと同じで、そこには優越感と安心感が同居する。みんなが持っていない流行ものをいち早く手に入れれば自慢できるし、みんなと同じものを持っていれば周りから浮く事もない。それとは逆に敢えてマイナーなものを選んでいくような人種がいる。彼らはメジャーなものを程度の低いものと考えているし、メジャーを愛する人たちを軽蔑している、最近かったCD? うーんケミストリーかなぁ。なんて言おうものなら、ふんと鼻で笑いかねない。でも決して腹をたてて聞き返してはいけない、聞いたところであなたの知らないインディーズの名前がでてくるだけなのだから。マイナーである事は彼らにとって重要なアイデンティティなのだ。まだ知られていないアーティストを多く知っていること、普通の人は読まないような本をたくさん読むこと、単館でしかやらないような映画をたくさん見てることは彼らにとって誇りであり、喜びでもある、その根底にあるのは知らないものを知っているという優越感だ。そして彼らの多くはこうも思っている、自分はセンスがあると。
お互い勘違いもいいところだ。
世の中にはメジャーなものとマイナーなものがあるのは確かだが、メジャー、マイナーはその物の優劣を決定するものではない。メジャーだから下らないという理屈はマイナーだから格好悪いという理屈と同じだ。
マイナー主義の人たちも初めは良い悪いで物事を決めていたんだと思う、自分の好きなものはみんなが好きなものとは違うけど好きなものは仕方ない。そうやって自分の好きなものを集めていったらそれはいわゆるサブカルであったりB級と呼ばれるものであったりする、そうやってマイナーなものを身を浸していると、良い悪いで判断できなくなってくる、マイナーだから好きにまってしまうのだ、こうなってしまうとただのメジャー嫌いになってしまう。野球は興味は無いけど巨人は嫌いな人と一緒だ。メジャーなものが嫌い、アンチな態度を取る事が彼らのスタンスになってしまうそこに深い意味はない、あるのはメジャーは悪という偏見だけだ。クソゲーとされるつまらないゲームをやってはくくくと笑っている、なんだかなぁという人間になってしまう。
メジャー主義者も同じだろう。彼らもメジャーであることが判断材料になってしまっている。個より全を優先する日本人の性格というのもあるだろう。みんなと一緒じゃないと不安なのだ。
メジャーとマイナーは2個いちだ。どんなにマイナーが好きでもそれにはメジャーという比較するものが無くては意味をなさない。メジャーもマイナーがあるからこそのメジャーなのだ。うちはマイナー派なのでメジャーを盲目的に追い求める人間は底が知れていると思ってしまう。失礼な話だが。好きなアーティストは? あゆー! どうして? かわいいしぃ、詞もいいしぃ。 とか言われるとパスガードからマウントで首すじを肘でぐいぐい押し込んでやりたくなる、エゴラッピンかなぁ、気になるのは。とか言ってくれた方が、ほぅ、と感心はする。他にもFTRというバイクを乗る人たちも本当にこの人たちはバイクが好きなんだろうか? と思ったりもするし、ロレックスとかも本当に必要なのか分相応か? とか思ったりする。ブームに乗るだけにやっきになっている人たちを愚かしく思ったりもするが、マイナーであることを崇拝する姿勢もブームを追うこととなんら変わらない、言うなればアンチブームを追っているのだから。 どちらも愚かしい。
好きだったものがたまたまメジャーだった、マイナーだった。それでいい話だ。ブームはみんなに与えられた平等なきっかけである。とはTVでだれかが言ってた言葉だけど、その通りだと思う。ブームでも良ければ乗ればいい。マイナーはマイナーな分、みつけにくい所にあるのは確かだ、だから見つける喜びがあるし、自分だけの宝物のような気にもなる。だけどそれはマイナーだから良いのでは無いはずだ。良いものだったらちょっとしたきっかけで明日にはメジャーになっているかも知れない。 良いものはメジャーだからマイナーだから、売れているから売れてないから流行っているから流行ってないからで決まるもんじゃない。どんなもんであれうまいもんはうまいのだ。鶴瓶師匠もそういってるじゃないか。

 


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