受信メール 26
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[件名]
セブンセンシズ

[本文]

「誰にでもひとつは得意な事がある筈だ」という思想は誰が言い出したか知らないが結構前から言われていたんじゃないだろうか? これはきっと才能も何にもない普通の人たちの、「そうであって欲しい」という願いが普遍的にあるからこそずっと言われ続けているんだと思う。「天は二物を与えない」なんていうのも、才能は一人ひとつであって欲しいという願いがあるからなんだと思う、そうじゃないと不公平だと言う訳だ。天は才能を一人の人間に嫌という程与えたりするものなのですが、それは認めたくないという気持ちも分かります。同じ凡人として。
才能、センス。なんていい響きなんでしょう。才能がある、センスがいいと言われて、苦虫を噛み潰したような顔をしたり、いきなり激昂して胸ぐらを掴んだり、ひどい気にしてたのに!って泣き出す人はいないだろう。きっとそれが小さなことでもまぁまんざらでもなしという態度をとると思う。うちもまんざらじゃないから、駄文を書き続けるんだと思う。才能というもの自体があるのかどうかと言われれば、現に向き、不向きというものがあると言う事は肌で感じるので才能というものはあると思う。超向いているという物があれば、それはそれに対する才能があると言えると思うから。あとこれはちょっとSFチックなのだけどうちは才能は神が与えた特殊なデータだと思うのだ、うちはこの世はゲームに似ていると思っている、同じ固体ばかりではゲームの流れが淀んでしまう、流れを変化させるキーマンが必ず必要になる、時代を変える人物やなにかを発明する人なんかは神様がこの世を変化させるためにデータを才能という形で与えているんだと思う。ゲームを刺激的にするために。
閑話休題
だれでも才能があればいいなとは思っているだろうし、隠れている才能があるはずだと思っている人もいるかも知れない、なんで才能があればいいと思うのかというと、やっぱりそれは一発逆転的な要素がそこにあるからだとうちは思う。いじめられっこが格闘の才能を開花されるなんてマガジン系の漫画の王道だし、今年開催されるサッカーでも才能ひとつでスラム街から抜け出せたという選手もいると思う。それともうひとつ、才能には努力がいらない。というのが大きいと思う。だって努力をしなくても出来ちゃうのが才能なんだもの、こりゃ楽ちんだ。そんなんが自分の中に眠っているのならこれほどおいしい話はない。容姿なんてそのもっともたるものだ。まったくなんの努力もいらない、生まれつきなんだもん。生まれたら家が裕福というのも、広い意味で才能といえなくも無い。実際は才能に努力と研鑚と運をミックスしてようやくその力が発揮されるものだし、実際のところ、世に出るには才能以外の力が必要なのだけど、(あ、でもそれを得るのがうまいのも才能か)それでもやっぱり人より優れた所があってもいいじゃんひとつくらいと思うのが人情だ。
才能はその人の人生の指針を決めてしまうのが怖いところだ、まったく不向きだと分かっている仕事にわざわざ就く人はいないだろう。今までの経験から自分に向いている、つまり才能がある仕事に就きたいと思うはずだ。ただやりたい事が向いていなかったと言う事も多々あるので、そこらへんのズレを自分で把握していないと痛い目にあう。あと才能があるといってもやっぱりピンキリなのだ、野球選手は全て野球の才能がある訳だけど、みんながみんなイチローになれるわけじゃない。普通の仕事だったら、まあ売上に差がでたり、仕事を終える時間が遅くなったりという程度で済むけれども、常に上の方にいないとやっていけない職業の人は大変だ。才能の枯渇が即、引退となる場合が多いのだから。
才能が無ければ無いほうがまだいい、一番たちが悪いのは中途半端に才能がある場合だ。諦めがつかないからだ、でもっていたずらに時間を浪費してしまう。今でもやっぱり○○養成所みたいなんは大盛況なのだろう、カルチャースクールもきっと大人気だと思う。どっちにしろ若いうちは浮ついた職業に就きたくなるものだ、自分のおとんなんかを見ているとよけいそう思いたくなる気持ちも分かる。でもやっぱりどこかで諦めないといけない。でないと才能に自分の人生を台無しにされかねないから。大丈夫、才能が世に出なくてもそれを披露する場所ならきっとたくさんあるだろうきっと満足は出来ないだろうが、やりたくないも無い事をしている自分の慰めくらいにはなるだろうから。

 


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