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受信メール 24
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マイクアピール
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ちょっと青くさい事でも書こうと思う。悪い言霊にでも憑かれたんだなと思って読んでくれたら幸いです。
「こねた」の二極論でも言ったように日本人はどうも物事を2つに分けたがる向きがあるようだ。2つに分ける分け方はそれぞれさまざまでうちは「ジオン」と「連邦」に分けてみたりしたんですが、ここでもちょっと分けてみます。
世の中には「自己表現が必要な人」と「自己表現が必要でない人」とに分けられる。
実際のところ前者も後者も自己表現をしていない訳ではない、誰だって自分という個がある限り自己表現をしているのだ、行動する全てが自己表現といえなくもない。
なら何故、世の中には自己表現を必要とする人、必要としない人がいるのだろうか?
よく「ありのまま」であるとか「自分は自分」とかぬくいポジティブが受けていた時期があったが(今のかもしれないが)自分という像は自分が作り出しているんじゃない、自分以外の人が作り出している部分の方が重要なのだ。もしそのポジ発言を額面通りに受け取って実践していけば、出来上がるのはただの自己中心的な人間が一人できるだけだ。
ありのままが云々と言ってるのと同じくらいずっと言われている言葉がある、「人は独りじゃ生きていけない」これは合っていると思う。もちろん人と人とは寄り添って生きていくべきだ的な意味でではない。人は独りでは存在していないと同じと言う意味でだ。ちょいと前のコラムで書いた、シュレディンガーの猫というやつだ。この世にありのままのあなたが一人だけいてもそれを認知してくれる人がいなければ、ありのままのあなたが存在しているかどうかすら判断できないのだから。
この事を踏まえて必要な人と必要じゃない人との違いを考えると、自分が思う自分の像と他者の認知度とのギャップの差じゃないのかと思った。この自分が思う自分の像というのは客観的に見てのものではもちろん無い、自分の主観での自分の像だ。このギャップの差が小さい人ほど自己表現をしなくていい人なんだと思う。言い方を変えれば「ありのままを許された人」といってもいい。これはとても理想的だ。仕事を決めるとき「自分の好きな事をやって食べていけたら一番いい」なんて事をいうけど、それと同じだ。自分の好きな仕事がお金になるという図式がそのまま、自分の好きな自分が認められるのとぴったり当てはまる。そういう人は自分を変える必要もなければ、本当の自分はこうなんだ!! と声だかに訴える必要もない。
自己表現といってもいろいろある訳だけど、やはり芸術面が一番分かりやすいと思う。音楽であったり絵であったり、詩であったり、小説であったり、こういうHPもそのカテゴリーに入るかもしれない。それらを友達が欲しいからとか女にもてたいからとか、お金を儲けたいからとか、目立ちたいからとかいう理由でなしに「自己表現」として行っている人がいるのなら、その人はやっぱり今の自分が嫌いな人なんだとうちは思う。
嫌いになる理由はやはり他人に受け入れられないからだと思う。だから自己を表現して自分がここに存在している証明がどうしても欲しいのだと思う。
この方法で自己表現が認められた人たちはまだ幸せだ、たいがいが殻を破れずに窒息してしまうのだから。人は自分を持っていなければ自己が崩壊してしまうのに、その自己を決定するのは自分じゃない。これはとてもしんどい事だと思う。私は私! なんて生きていける人なんてほんの一握りなのだから。
余談だが自分の理想がどんなもんか知りたい時は占いをやってみるといい、それも動物占い系の。その結果をみて、納得できる、「ああ、当たってる」と思ったところがあなたの思っている理想の自分であり、これが「全然当たってない!」のであったら、それは自分の理想でない自分だ。それを見て、これあたってるよーって友達がいったのなら、あなたは自分の像と他者の認知度とのギャップがあるということなのだ。